『日本と原発』トーク

<未公開インタビュー動画> 浪江町馬場町長 「犠牲にならない町を…」

15/01/17

馬場町長からの、原発立地市町村、隣接している市町村の首長の方々へのメッセージ

映画『日本と原発』本編で使用しなかったインタビュー部分を公開しました

 

馬場町長インタビューの文字起こし

<河合> 現在、原発事故でこういう被害を受けていう浪江町の町長として、日本のすべての原発が立地している市町村、隣接している市町村の首長の方々にメッセージはありますか?

<馬場> 私どものような犠牲にならない町を作っていただきたいと思いますね。特に最近ですね、隣接町の首長さんや議会の方々が私どもの視察にみえるんですね。

なんで隣接の方々がみえるのかなと不思議に思ったんですけどね、そこは原子力安全協定を結んでいた自治体の方々なんですね。
ですから、やっぱり危険だ、安心できない、そういうものを体験した者から吸収しようとして訪問していただいてると思うんですね。そうするとね、
本当にもう、避難経路も計画されていない、どこに避難するかも決まっていない、そういうやり方でいいのかという見直しをね――今、原子力防災計画の見直しをやっていますけれども――そういう方々が真剣になって、今、勉強しようとしていますね。
従って、立地上の首長さんも大変お辛いところはあると思いますけれども、やはりここは原発事故を教訓としてですね、そして、まだ、事故原因の究明すらできていない状況ですから、そこを考えていただきたいなと、私は思います。



10年後の浪江町の展望は?


<河合>
 10年後の浪江町はどうなっていると考えておいでですか?



<馬場>
 10年後ですか。。。そうですね――10年、ま、いくらか復興ができて、水が問題ない、下水道も浄化槽を入れた完備が終わっているかどうか。。。
今、地元に戻って事業を再開された方が3社おられるんですね。で、この10年間でそういうものができて、私が一番ネックになると思っているのは、原発の今の収束状況ですね。はい。


今、燃料棒の取り出しが始まりましたけれども、本当に安全・安心でやって、なにもなく終わってもらえれば一番いいんです。
ただ、今までの東電の情報隠しと、それから人為的ミス。これが相当続いています。
作業員の方が非常に疲れていますから、ああいうことになるんでしょうけれども、そういう人為的ミス、そういうものが払しょくできない限りは、ちょっと戻れないんじゃないかなという感じがするんですね。


戻りたいという方は、今、18.8%おられますので、その方々のためにもある程度の基盤整備だけはしなくちゃならないと思っています。



<河合> 
もどるもよし、もどらないもよし。両方に対する調整を行って行きたいということになりますか?

<馬場> そうです。非常に難しいですが。
<河合> 10年後には必ずこうなるという見通しは立てにくい。しかし、前に向かって個人の、町民一人ひとりの選択を尊重しながら支援していくというお考えというように思えますが。
<馬場> そうですね。
<河合> 今の状況、原発の汚染水問題とか、燃料棒の取り出し、もっと言えばメルトダウンして今どこにあるかもわからないデブリと言われる溶けた燃料がどうなるかを、横にらみしながらの町の再建ということになりますよね。
<馬場> そう、そうですね。
<河合> その部分は、だけど、町長や町民の皆さんが関与できないことですもんね。
<馬場> そうですね。


ですから、非常に難しいですよね。10年後の姿がどうなっているのかということはね。
できれば、皆さんが戻ってこれるような状況で、でも、3.11以前の浪江町に戻すのはなかなか困難ですから、最低限の生活はできる町に、まずは戻すということ。
それに、帰った方々がいらっしゃっても、お医者さんがいなければダメですね。
福祉サービスの機関もなければ、安心してデイケアなども受けられないという状況になりますからね。


私が本当に医療機関が必要だと思ったのは、津島の支所に8千人の方と行った時です。
着の身着のままで避難してきたために、全員、薬なんか持ってこなかったんですよ。
それで、薬をですね、3月12日から診療所で薬を出したんですけどね、患者さんというか、ご本人が薬の名前をわかっている人ばかりではないんですよ。


例えば、心臓病だとか、高血圧だとか、それを言って。
当時、お医者さん――診療所の先生とか個人病院の先生とかも避難していましたから、皆さんに手助けしてもらって診療所で診察したんですよ。
その時のね先生方、徹夜でしたよ、薬を出すのに。


<河合> 糖尿だの高血圧だのって言ってもいろいろあるし。
昨日、五十崎さんってご主人がダムから飛び降りた方のお話を聞いたんですけれども、やっぱり、その方も糖尿を抱えていて、薬を特定するのは本当に苦労したと話していましたね。だから、町の再建にも、避難のいずれにおいても、医療機関は不可欠なんですね。


<馬場> それがないとできないです。そういう状況をまともに見ていますので、いち早く避難した時もそこにクリニックはあったんですが、地元のクリニックを開設したらそこにワーッと殺到したんですね。それで、私、院長さんに呼ばれて「町長さん、なんとかして。私、身体がもちません」って言われて、すぐ隣に仮設の診療所を作ったんです。それだけ、医療機関って大切なんですね。


そういうことを経験しているもんだから、10年後に戻れるのであれば、医療施設と福祉施設が一緒に行かないとならないと思っています。

<収録インタビューより抜粋>

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